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マッサージの歴史

マッサージの歴史

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『マッサージ』の語源は
ギリシャ語のマッシー(揉む)または、アラビア語のマス(揉みこむ)にフランス語のアジ(操作する)という語尾が付いた造語とされています。
つまりマッサージとは体を『揉む』ことなのです。


1)ヨーロッパのマッサージの普及

すでに紀元前四~五世紀のころギリシャの医聖ヒポクラテスは「医師たるものは医術についてのあらゆる学理とともにマッサージも修得せよ」と力説したといわれ、幾つかの論文も発表されました。
しかし、その後長い間マッサージの研究は絶え医療界からも顧られず民間療法として僅かに余命を保ったにすぎませんでした。

16世紀後半

フランスでマッサージの術式とその効用について詳しく説明する論文が発表されてから新たな脚光を浴び西洋医学の臨床技術の一部として重要視されるようになります。

18世紀~19世紀

スウェーデンのリングが治療体操を提唱しマッサージとの併用を強調して以来マッサージはドイツ・フランス・オランダ諸国に普及するまでに至りました。
その後ヨーロッパ諸国におけるマッサージ研究は年々盛んとなり、学理の研究とともに術式の改善にもつとめ臨床応用の新しい分野を内科・外科・整形外科と開拓し近代医療マッサージの体系を確立しました。


2)日本でのマッサージの普及

「あん摩の歴史」

日本におけるマッサージの歴史はあん摩からスタートします。
日本最初の本格的な法律である『大宝律令』(大宝元年.701年制定)を修正して制定された『養老令』(養老二年.718年制定)の医疾令第二四には、 針博士・針師・針生・あん摩博士・あん摩師・あん摩生の官職が設けられていたことが記されています。

この時代のあん摩師は外科・整形外科およびその後療法としての処置やあん摩法まで取り扱った専門家で今日のあん摩師の医療的役割とは大いに異なります。

江戸時代に入り文政年間に大阪の太田晋斎が「按腹図解」(あんぷくずかい)を著して「元気の溜滞を活発にし、臓腑を和らげ気力を盛んにする」とあん摩の効果を詳しく述べています。

その後のあん摩術は明治維新とともに漢方医学の一科として別道を歩み民間医療として余命を保つ運命に向かい、伝統的な東洋医学の診療体系に裏付けられた古来のあん摩術は西洋医学の学説「循環障害の回復説」に置き換えられ、ヨーロッパ流のマッサージと統合されて今日に至っております。

「指圧の歴史」

現在の日本のオリジナル手技療法として世界でも通用する
指圧(SHIATSU)

明治時代ころからアメリカ三大整体術と呼ばれるカイロプラクティック・オステオパジー・スポンジロセラピーが流入して古法あん摩や活法などと融合して大正時代頃に出来上がった。戦後GHQによって手技療法が禁止されたが昭和30年8月に「あん摩師・はり師・きゅう師及び柔道整復師法」のあん摩があん摩(マッサージ・指圧を含む)と変更され法律上で指圧が認められるようになり、その後昭和39年6月に「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師等に関する法律」として正式に指圧が認められるようになりました。

※昭和45年に柔道整復師法が単独法になったためあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師等に関する法律となります。

設立年代や創始者について異説はありますが、指圧を確立したのは日本指圧専門学校を設立した浪越徳治郎とその第一期卒業生増永静人なのです。


3)リラクゼーションマッサージの登場

あん摩マッサージ指圧が国家資格として認められてからはこれらのマッサージ業は治療行為として一部健康保険が適用になる類似医業行為として発展してきました。

しかし、ここ数年治療を目的とするのではなくあくまでリラクゼーションや癒し、体調管理としてのマッサージが注目され、それに合わせて従来の治療院とは異なったリラクゼーション専門のサロンがでてきました。


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